広島高等裁判所 昭和44年(う)117号 判決 1971年2月25日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
弁護人馬場照男の控訴の趣意は記録編綴の控訴趣意書記載のとおりであるからここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
所論は要するに、原判決の事実誤認を主張し、本件事故は被告人の運転する自動車が被害者酒井忠利の運転する単車を追い越し又は追い抜こうとして右単車に接触して生じたものではなく、右単車が被告人の運転する自動車と併進中、右酒井の過失ないし操縦の誤りによつて、右単車が被告人の運転する自動車に接触したため生じたものであつて、被告人には業務上の過失責任がないのに、原判決は右に反し、被告人の過失を認定したものであるから、原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実誤認の違法があり、破棄されるべきものであるというのである。
よつて、記録及び証拠を精査し、当審における事実取調の結果をも併せて検討することとする。
原判決の挙示引用した証拠(但し後記措信しない部分を除く)を総合すれば、被告人が昭和四二年一月三一日午後七時一〇分頃山口県厚狭郡山陽町本町五区白川トモ子西側の歩車道の区別なく幅員約7.6メートルのアスフアルト舗装が施され、その両側に約0.4メートルの非舗装部分が存する国道二号線道路を、当時降雪中にして、自動車の前照灯のほか照明設備のない暗夜で見通しのよくない状況下において、大型貨物自動車を運転し、柳井市方面から下関市方面に向け時速約四〇キロメートルの速度で進行中、同一方向に進行する酒井忠利(当時三四歳)運転の自動二輪車と自車左側後車輪附近が接触し、そのため同人が自動二輪車もろとも左斜前方に転倒し、よつて原判示のような加療約一年六カ月間を要する頭蓋骨頭蓋底複雑骨折等の傷害を蒙つた交通事故を惹起したことが認められる。而して、原審は、被告人運転の大型貨物自動車が右酒井運転の自動二輪車を追い抜く状況で進行していたものであり、このような場合運転者としては追い抜かれる車輛の種類、位置、進路、速度などの運転状況を予め注視し、自車の車体左側が相手方車輛に接近しすぎることのないよう安全を確認すべき業務上の注意義務があるのに、被告人はこの義務を怠り、右酒井運転の自動二輪車の運転状況を予め注視せず、同車との間隔が十分であるかどうかに注意を払わないで、漫然追い抜きをした過失により、自車と併進する状態において右自動二輪車を自車左側車体後部附近に接触させたため、本件交通事故を惹起させたと認定していることは原判決の判文上明らかである。なるほど、小玉正子は検察官に対する供述調書、原審第三回公判廷、当審公判廷において、田中史恵は検察官に対する供述調書、原審第三回公判廷において、それぞれ西方から本件事故現場に向け、本件国道の右側(南側)を被告人運転の大型貨物自動車に対向して並んで歩行中、前方に右大型貨物自動車と右酒井運転の自動二輪車を発見し、右大型貨物自動車が右自動二輪車を追い越す際自車左前部で自動二輪車をはねた状況を目撃した旨供述又は証言し、右によれば、原審の右認定が肯定されたものの如くであるが、右各証拠は後記各証拠に対比し、なおまた後記各証拠中特に……よつて認められる酒井運転の自動二輪車の荷台附近等と被告人運転の大型貨物自動車の左側後車輪附近が接触した両車の動かし難い客観的な接触状況に照し到底信用し難く、他に原判決の右認定にそう証拠は存しない。かえつて、<証拠>を総合すれば、岩田大治、山元正子は、右岩田運転の乗用車に乗り、本件事故現場の東方約三〇〇メートルの同国道南側に存するドライブイン「寝太郎」前を通過して間もなく、前方約二〇メートルにはじめて被告人運転の大型貨物自動車及びその後部附近に並進する酒井忠利運転の自動二輪車を発見し、右大型貨物自動車がのろのろしたような運転をしていたが、追越禁止の個所であるため、岩田大治は同車の約二〇メートル後方を同間隔のまま約二七〇メートル位追尾しているうち、両車が接触して本件交通事故となつたこと、右のように岩田大治運転の乗用車が被告人運転の大型貨物自動車の後方を本件事故現場に至るまで約二七〇メートル追尾する間に右酒井運転の自動二輪車は右大型貨物自動車の左側後車輪附近を追いついたり離れたりする状態で走行し両車が並進していたことからしてその間被告人運転の右大型貨物自動車が右酒井運転の自動二輪車を追い抜いたり、追い越したりする状況は全くなかつたこと、しかも右酒井は酒気帯び運転のため、不安定な運転状態であり、本件事故は、同人の自動二輪車が右大型貨物自動車後部附近を併進するうち、同車に接近しすぎて自動二輪車の荷台附近等が同車の左側後車輪附近に接触したことによつて惹起したこと、さらに、被告人はその間特にかわつた運転方法をとろうとしたこともないから、バツクミラーで後方の安全確認をすべき注意義務を負うことはなく、被告人が自車の後方に並進する右自動二輪車の存在及び本件事故に気づかなかつたのも無理からぬところであり、現に、本件事故発生後も、被告人はそれまでの運転状況と特にかわつたところがなく、同速度のまま同国道を西進走行しているうち、岩田大治の電話連絡で事故の発生を知つた警察官から停止を求められ、はじめて本件事故の発生を知るに至つたことがそれぞれ認められるのである。してみると、被告人が大型貨物自動車を運転西進し、本件事故現場附近を同一方向に進行する酒井忠利運転の自動二輪車の右側を追い抜く状況で進行中、自動車運転者として遵守すべき業務上の注意義務を怠り、漫然右自動二輪車を追い抜いた過失により、同車を自車左側車体後部附近に接触させたと認定した原判決の判断には、過失の前提となる事実に関し証拠の価値判断を誤りひいては事実を誤認した違法があり、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し同法四〇〇条但書に従い、さらに当裁判所において判決する。
本件公訴事実は、被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四二年一月三一日午後七時一〇分頃、大型貨物自動車(山一せ三二九一号)を運転して、柳井市方面から下関市方面に向け進行中、時速四〇粁位で厚狭郡山陽町五区白川トモ子方西側国道(幅員7.5米)にさしかかり、左前方を同一方向に進行する酒井忠利(当三四年)運転の自動二輪車を認めてこれを追越そうとしたのであるが、かかる場合運転者としては前車の進路速度に応じてその右側に十分な間隔を保持し安全を確認して追越にかかり接触等の事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り僅かにハンドルを右に切り道路中央に寄つたのみで同車との安全間隔を保たないまま漫然追越をはじめた過失により、同車の右側方通過に際し自車左側車体後部附近を同車の右側に接触せしめて同車もろとも同人を左路外下の田圃に転落させ、よつて同人に対し頭部外傷Ⅲ型(頭蓋骨頭蓋底複雑骨折)外傷性神経麻痺の後遺症による全治約一年六月の傷害を負わせたものである、というのである。
右事実については、結局犯罪の証明が十分でないから同法四〇四条、三三六条に則り、被告人に対して無罪の言渡しをすることとして主文のとおり判決する。(高橋文恵 久安弘一 渡辺宏)